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コロナ対策と「多様性」

7月もあっという間に最終日。あ、ブログを書いていない?

今月は新著の原稿作業が遅れ気味で、そちらに集中・・・言い訳です、すみません!

 

コロナ禍は収まる兆しがなく、生活や経済に大きな影響を与え続けています。

残念ながら「コロナ後」という状況は見えず、「新常態」として腰を落ち着けて考え、行動しなければなりません。

そして、最近感じることは、この問題に対する考え方や感覚には「幅」ができているということです。

たとえば、私は友人との会食やライブハウスでのセッション参加はまだ控えていますが、SNSを見ると、非常事態解除後は参加している人もだいぶ増えているようです。

会合の案内があった場合にも、参加するかどうかは結論が分かれます。

また、会合の主催者側の判断としても、大変難しいところです。

 

たしかに、「三密を避けることは必要だが、それ以上気にしたら何もできない」と考える人も多いでしょう。

また、委縮ばかりでは経済が立ち行かず、人生の時間としてももったいない、というのももっともな意見です

「コロナはただの風邪」と主張する人が、外国の政治家のみならず、都知事選挙の候補者にも含まれていたほどです。

 

「コロナ」は「新型ウイルス」で人類がこれまで体験したことない広がりとスピードで感染が拡大しています。

そのため、専門家の間でもさまざまな見解があり、また「専門」の立場の違いからコメント内容も異なっています。

そして、個人の立場では、年齢や基礎疾患の有無でリスクが大きく異なり、またリスクに対する感じ方や対処のレベルも人それぞれです。

したがって、少なくともこの「幅」があることを前提にしないと、判断や決定の際に摩擦が生じ、また誤った結論に向かうリスクがあると感じます。

ただし、「三密」のように、「超えてはならない一線」があり、これは明確にしておく必要があります。

これは、あたかも「多様性」を認めながら、ハラスメントを防止し、コンプライアンスを徹底するのと同じではないでしょうか。

 

ひとりひとりが責任を持って考え、行動しなければとても間に合わない、これが「コロナ」の教訓のひとつであるように思います。

 

#コロナ #リスク #多様性